S
ave 
Animals  
Love Animals
NPO SALA NETWORK

  動物に関する法律
    【狂犬病予防法への疑問と立法経緯について】


HOME
HOME S A L A 概 要 S A LA ニ ュ ー ス 里 親 募 集 会 員 募 集 F A Q ご 寄 付 リ ン ク
Home動物に関する法律 >狂犬病予防法への疑問と立法経緯について
題名 狂犬病予防法への疑問と立法経緯について
投稿日 : 2004/10/15(Fri) 15:31
投稿者 kikoku

狂犬病予防法に対する疑問の主なものは下記の3点である。

疑問1.第六条9項で公示2日、その後1日 計3日で処分可能としているが 3日という日数に合理的な根拠はあるのだろうか?遺失物法の公示後6ヶ月とあまりに乖離していないだろうか?
疑問2. 10項で 損害を補償する とあり 所有者の所有権は否定されていない、とすれば所有権が移動していない他人の財物を殺処分し焼却する行政処分に合理性はあるのだろうか?(第六条は通常時の措置であって狂犬病発生時の措置ではない。緊急性に疑問が残る。)
疑問3. 狂犬病予防の目的からすれば犬に限らず すべての哺乳類が対象でなければ完全な防疫効果は得られないはずである。後述 田中証言にも「24年には犬614頭,人76名,家畜12頭(牛馬各1頭,猫10頭)の大発生があり,緊急措置として家畜伝染病の一部を猫の狂犬病に適用する省令までが農林省から公布される有様であった」と記述されている。狂犬病予防法の施行は翌25年である。なぜ 犬のみを捕獲、処分の対象としたのであろうか?

今回、獣医師会雑誌で「 狂犬病予防法の制定をめぐる想い出の数々 」(昭和60年頃記述 以下 田中証言と記す)という田中良夫氏による文書を読むことができた。
合わせて、人と動物の共通感染症研究会 資料の「日本における狂犬病」唐仁原 景昭氏 論文(以下 研究会資料と記す)をあわせ読み ほぼ 制定当時の事情が推定でき 上記の疑問の回答を得たと思われる。(田中証言 研究会資料はいづれもWEB上に存在する。)

まず、田中良夫氏の略歴であるが昭和25年当時厚生省畜産局衛生課の課員であられた。後 日本獣医師会顧問 埼玉県獣医師会名誉会員になられたところを見ると 獣医師でもあられたようである。推測するに厚生省技官であられたと思われる。
同氏はほぼ一環して感染症対策を担当され 昭和25年同時は高知県下における馬日本脳炎の対策を終えられた直後であったと思われる。
田中証言によると狂犬病予防法草案はほとんど田中氏が独力で起草し 従来、原田雪松議員による起草説(日本の犬は幸せか 富田勝  等)に対し 原田議員は厚生省の要請で議員立法の名義人となられ 一部の条文の加筆、削除、訂正をされた程度でほとんど田中原案のまま施行された とされている。
田中証言で明らかにされた事実は 同法の立案、施行についてわが国の厚生省、農林省は非常に消極的であったがGHQの強力な要求に抗しきれず畜産局衛生課が原案作成をいわば押し付けられた ということである。
「昭和25年3月6日には総司令部PHW(公衆衛生福祉局)局長サムズ准将名で「狂犬病予防対策確立について」と題した「メモランダム」(覚え書)を寄せて来た」
「GHQのビーチウッド博士は種々の会合に進んで出席し,狂犬病の予防撲滅に関し強化推進を直言するなど厚生,農林両省の対応に不満を漏らし続けていたことを,同博士と特に接触する機会の多かった衛生課長から度々耳にしたものだった.当時衛生課長に長電話がある時は必ずといっていいくらいに相手はビーチウッド博士で「おどし」「すかし」時としては「哀願」する調子で苦情を訴えた」
との記述がある。
つまり 同法は日本側の自主的な裁量によるのではなくGHQの再三の要求(当時は命令と受け取られたであろう)によるものなのである。
田中氏が原案作成を開始されたのが昭和25年4月5日以降、
「異例の早さで法制局での審理等が終り,国会に提出される運びとな」り 同年8月に公布、即日施行されている。異例というより異常な速さである。充分な調査、検討をせず GHQ命令の権威のもと拙速主義で制定されたのでは との疑いは否めない。
また、田中氏ご自身 法案作成作業をまったく予想されていなかった、
「主管の厚生省の乳肉衛生課をさしおいて」の記述がある。また 前述のメモランダムも「厚生省乳肉衛生課の官吏は会議を行い,知事によって直ちに実施されるよう確実な防疫計画を作るべきである.」とある。田中氏が事前に調査、研究する余裕はなかったものと思われる。(田中氏は狂犬病防疫現場の経験は無かった。)

疑問1.の回答
上記の田中証言により 田中氏がまさに徒手空拳の状態で何をもとに草案を作成されたのかは容易に想像がつく。それ以前に施行されそれなりの効果のあった前例である。研究会資料によれば狂犬病予防の法として当時施行されていたのは
家畜傳染病豫防法 大正11 (1922) 年4月10日 法律第29号 である。
  地方長官は警察官が公共用地その他の場所に徘徊する犬を抑留し、(中略)その旨の公示を3日間行い、 (中略)期間経過後地方長官はその犬を処分することができることを定めた。
とある。田中氏は この規定をそのまま取り入れたのではないだろうか。

疑問2の回答
推定であるがこの部分は法制局による挿入ではないだろうか。
行政権による私権の制限に相当の補償を要するようになったのは日本国憲法以来である。明治憲法においては臣民の権利は法律の定めるところによる限定的なものであった。詳細は不明だが おそらく大正11年家畜傳染病豫防法に補償の規定は無いのではないだろうか。(この部分についてはさらなる調査を要する)もし、補償の規定があれば田中氏はこの部分も前法を踏襲されたのであろう。

疑問3の回答
「狂犬病の防疫は家畜伝染予防法の規定に従って進められていたが,犬の狂犬病だけはこの法律の主務官庁は農林省でなく厚生省が主務官庁となっていた.」と田中証言にある。厚生省官僚の田中氏としては農林省の所管である犬以外は対象にできなかった と思われる。

以上の考察により現在の狂犬病予防法の問題点が明らかになった と思われる。
3日で処分の根拠は80年前の警察に犬の抑留施設がなかったためである。(1922年は関東大震災の前年である。)
その規定が恐らくさしたる検討も吟味もなく現在も生き残っているに過ぎない。
行政が譲渡に消極的なのも無理はない、捕獲犬は処分後も飼主の所有なのである。うっかり 里子に出したら飼主の返還請求に対抗できない。里親さんとの間で困難な立場になることは容易に予想される。故に、捕獲犬は譲渡の対象とせず さっさと殺処分して証拠隠滅しておかないと安心できない。行政の譲渡犬は引取犬に限られるのではないだろうか。(東京都HPには『当センターで引き取った犬猫の譲渡をしています。』とある。引取犬、猫には上記の所有権に関する問題は発生しない。)
なぜ 犬だけが対象とされたかは要するに草案を厚生省が作ったためである。
ただ それだけの省庁の縄張りが理由である。
以上の事情で80年間、犬は3日で処分されてきた。
80年前とは社会の豊かさも動物への倫理も大きく変わってきたが殺処分に関する法律の規定は80年間変わっていない
半世紀を経て 狂犬病予防法は根本的に考え直されねばならない時期に至っているのではないだろうか。

田中氏の寄稿
http://group.lin.go.jp/nichiju/mag/05303/06_08.htm
唐仁原氏の論文
http://www.hdkkk.net/topics/rabi0101.html

本文は 平成14年10月に書いたものであるが
現在 東京都HPでは 捕獲犬も譲渡の対象になっている。

Top 

Home動物に関する法律 >狂犬病予防法への疑問と立法経緯について
HOME SA L A 概 要 S A LA ニ ュ ー ス 里 親 募 集 会 員 募 集 F A Q ご 寄 付 リ ン ク
個人情報の取扱について

当ホームページの記事・写真及び画像データを無断で使用・転載する事を堅くお断りいたします。
Co
Copyright ©2000~
 NPO SALA NETWORK All Rights Reserved
E-Mail: npo@salanetwork.or.jp